デンタルオフィスみなと 公式ブログ

静岡県沼津市の歯科医院「デンタルオフィスみなと」です。

【日常】高校卒業式での挨拶

私の子どもがこの春、高校を卒業しました。私は子どもの学校で保護者会の会長として、挨拶をさせていただきました。そこで、私が常々思っている「人生とは理解者を探し求める旅である」をメッセージに含めました。以下、私の挨拶の抜粋です。

 

(前略)思い出の尽きない母校を離れ、新天地へと旅立つ皆さんに、私からメッセージを贈りたいと思います。それは、「人生とは理解者を探し求める旅である」ということです。理解者を求めるためには、まず自らが他者を理解する必要があります。皆さんは、高校生活の中で、友人や先生方、さまざまな方々との交流や、奉仕活動を通して、自分とは異なる考え方や価値観と接するという経験をしてきました。
これから皆さんが自らの夢を実現させるためには、長い準備期間と弛まぬ努力が必要です。それは、一つひとつ丁寧にレンガを積んでいくような地道なものではありますが、本学で培った皆さんのひたむきな姿勢は、必ず周りの人々に伝わる日がくるでしょう。そして理解者を得て、一人では成しえないことでも他者と協力し合い、より良い社会、より良い世界を築いていってほしいと思います。人類は、これまでも不可能なことを可能にし、幾多の困難や危機を乗り越えてきました。どのような困難に直面しても、他を思いやる心を忘れずに、自分ができる最善を尽くすことで、道は拓けるものと思います。受け継がれた本学のスピリットを心にとどめて、未来を切り開いてください。(後略)

【出版】The Wall Street Journal “NEXT ERA LEADER’S AWARD” Dental Office Minato (31th January 2022)

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The Wall Street Journal “NEXT ERA LEADER’S AWARD”  Dental Office Minato 

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                                                                                       Director Yoshiharu TSUYUKI

 

For communication-focused healthcare with empathy and friendliness

コミュニケーションを重視した共感と顔の見える医療を目指して

Our motto is healthcare with empathy and friendliness. As a dentist, I always keep in mind the idea that skill and communication must go hand-in-hand in healthcare. Without a relationship of trust with patients, dentists are not able to use their skills efficiently even if they are highly skilled. I believe life is a journey, looking for the people who understand you. I think this same way when I see patients. I want my patients to be able to understand and empathize with my treatment policy and philosophy. To accomplish this, I need to understand them. I will continue to make my clinic attractive to the people in my community.

当院のモットーは「共感の医療」と「顔の見える医療」。歯科医師としては、「技術とコミュニケーションは医療の両輪である」ことを念頭に治療にあたっています。患者さんとの信頼関係がなければ、どんな素晴らしい技術を持っていたとしても宝の持ち腐れ。自分は「人生とは理解者を探し求める旅である」と思っていますが、それは患者さんに向き合うときも同じです。自分の治療方針や理念に共感した理解者になってほしいですし、そのためには自分が患者さんを理解する必要があると思っています。今後も、地域の皆さんが「行きたい」と思える歯科医院を目指していきます。

 

To be the one who understands as many patients as possible

一人でも多くの患者の理解者になるために

 I decided to be a dentist when I was working for a financial institution after graduating university. It was difficult for me to perform my job well and felt that I failed to be of service to society at that time. I became more interested in doing manual work to help others. Then, I thought of becoming a dentist. Already 25 years old, I wondered if I would be able to do it at first. But my primary care doctor, an otolaryngologist, supported me a lot, telling me to do what I wanted to do. I still clearly remember that his support helped me go ahead with my dream. I pledged to live my life to the fullest when studying at dental college. I majored in oral surgery at Yokohama City University for seven years. After working as a hospital dentist, I opened a clinic at the age of 43. Despite my late start, I met many people who understood and supported me while working hard with the view toward opening a clinic in my hometown. As a result, I was able to be independent. In the course of my life, I learned that life was a journey looking for the people who understood you. When you find someone who understands you, it is important to work enthusiastically and consider what you can do for that person. Understand each other. This is the important principle for me when I see patients.

歯科医師を志したのは、大学卒業後、金融機関で働いていたときでした。なかなか仕事で成果が上がらず、社会の役に立っている実感を持てずにいたところ、自分は手を動かす仕事をして誰かの役に立ちたいと考えるようになり、歯科医師を目指そうと思い立ちました。当時、すでに25歳でしたし、その思いを全うできるのかとかなり迷いましたが、かかりつけの耳鼻科の先生からいただいた「自分のやりたいようにやってみなさい」という力強い後押しが、一歩を踏み出すきっかけになったことを今でもよく覚えています。歯科大学では「悔いのないように生きよう」と心に誓い、卒業後は横浜市立大学で7年間口腔外科を専門に学び、さらに5年の勤務医を経て、開業したのは43歳のとき。遅いスタートではありましたが、地元に開業するという目標に向かってガムシャラに進むなかで、自分を理解してサポートしてくださる方に数多く出会い、自分の道を進むことができました。そこで得たのは、「人生は理解者を探し求める旅である」ということ。理解者を得るためには、自分がひたむきに努力する必要があり、同時に自分が相手のために何ができるのかを考えることも重要になってくると思います。お互いに相手を理解する。それは今、患者さんに向き合うときにも大切な指針になっています。

 

Our motto is healthcare with empathy and friendliness. You don’t feel happy if you need to go to the dentist, do you? That is why I want to thank my patients for their choosing to visit our clinic. Healthcare with empathy is important if you want your patients to be satisfied with your clinic as a result of good-faith efforts. Stand in patients’ shoes. For instance, tell them “Suffering from pain like you are is tough.” Needless to say, this is the most important thing if you want to build trust. We guide patients in a counseling room before examining them if the patient visits us for the first time. I always give my business card to patients before speaking with them. All the patients are surprised or inspired when I give them my business card. It is something a very limited number of physicians or dentists do. This may help relax them. I also want my patients to empathize with my philosophy. While working as a dentist, I learned that skills and communications must go hand-in-hand in healthcare. You can only use your skills efficiently if you have a relationship of trust with patients. In healthcare, skill and communication are indispensable and closely connected to each other. I believe this.

当院のモットーは、「共感の医療」と「顔の見える医療」。歯科医院は、積極的に行きたいと思う場所ではないですよね。だからこそ、当院を選んで来てくれた気持ちを大切にしたい。誠心誠意向き合って、当院に来てよかったなと思ってもらえるようにするには「共感の医療」が大事なのではないかと考えています。「痛くてお困りですね」といったように相手の立場に立つこと。当たり前のことですが、信頼を作るなかでは一番重要です。当院では初診の場合、診察の前にカウンセリング室へご案内します。そして、お話を聞く前には必ず名刺をお渡ししています。診察時に名刺を渡す医師は少ないので、皆さん驚いたり、感心したり。緊張がほぐれる効果もあるのかなと感じています。そして、せっかく来ていただくなら私の理念に共感してほしいという思いも持っています。歯科医として歩みを進めるなかで、得たのは「技術とコミュニケーションは医療の両輪である」ということ。患者さんとの信頼関係があってこそ、初めて技術が活きてくる。どちらか一方だけでは、治療は成り立たない。そう思っています。

 

I believed that I would be able to do what I want if I tried. I was satisfied with my efforts for the first time. I was reborn at that time. This is not an exaggeration. That is how I felt then. I thought the cherry blossoms were very beautiful when I entered the college. I clearly remember the world looked different. In fact, the world had not changed. I had changed. It was just the starting point. Then, I pictured the ideal image of myself and tried to find a way to achieve it. I have made efforts steadily every day to accomplish this because I should. Of course, I will continue study and work diligently.

25歳で歯科大学に入学したときに「やればできるんだ。やってよかった」と人生で初めて思うことができました。大げさではなく、自分が生まれ変わった。そんな気持ちになりました。入学したときに見た桜がすごく美しくて、世界が違って見えたことをはっきりと覚えています。でも、それは世界が変わったのではなく自分が変わっただけなんですよね。そして、それは単なるスタートライン。その後も、「なりたい自分」を心のなかに描き、どうすればなれるのか。そのためには、地道に努力を重ねる必要があるのではないかと思い、それを日々実践してきました。もちろん、今後も研鑚を続けていきます。

 

Our clinic has steadily developed, supported by community members. In the next stage, I want to make us a medical corporation. I am planning to name our medical corporation Minato Kai. In Japanese, minato means port. I would like to further develop Dental Office Minato to be a port harboring young dentists and staff who will inherit spirit. In addition, I want to be a person who understands as many patients as possible, to be their family dentist who can look after them throughout their lives. I would like to continue to work to achieve this goal.

地域の皆さんに支えられて、着実に歩んできた当院ですが、次のステップは医療法人化。法人名は「みなと会」を予定しています。自分のスピリットを継いでくれる若い医師やスタッフの「港」となるべく、「デンタルオフィスみなと」を、さらに発展させていきたいと考えています。そして、自分が一人でも多くの患者さんの理解者となり、一生お付き合いできるホームドクターでありたい。それを目指して努力を続けていきたいです。

31th January, 2022

 

【2022年1月18日午後の休診のお知らせ】

【2022年1月18日午後の休診のお知らせ】
1月18日の午後、当院のスタッフは三回目の新型コロナウイルスワクチン接種を受けるため、休診いたします。ご不便をおかけいたしますが、何卒、よろしくお願いいたします。

【日常】母の人生

母の通夜で私が読んだ喪主挨拶からの抜粋です。

 

 母は昭和14年4月24日、裾野市深良で生まれました。一美という名は、父親の名である宇一から一文字をもらって名づけられたそうです。

 地元の深良中学を卒業した母は「一回だけだったけど、学年で成績が一番になったことがあるのよ」とかねがね申しておりました。母のアルバムをひも解いてみましたところ、表紙にそれを裏付ける記載がありました。高校は沼津西高校に電車で通いました。そこで多くの友人と現在まで続く親交を交わしました。母は晩年になってからは、高校の同窓会の役員までさせていただきました。

 高校卒業後は沼津の会社に事務員として勤めました。母は23才になった年の正月に、今年こそは嫁に行こうと心に決めたそうです。父とはお見合いで知り合いました。2人は初めて会った日、父が運転する車で韮山反射炉に出かけ、沼津駅南にあったフォンテーヌというレストランで食事をしたそうです。スーツにトレンチコート姿の父は母を気に入って、「沼津に来ませんか」と母に聞いたそうです。母は沼津が好きだったので、「はい」と答えたそうです。これは、父なりのプロポーズだったようで、父は母の父親に「結婚の承諾を得た」と伝えたそうです。母は、露木家が農家であり、頑固な曾祖母と祖父がいたことを聞いており、やっていけるか自信がなかったため、返答に困ったそうです。しかし、母の父親は「一美ならやっていける」と、結婚に承諾したそうです。母は、父親がそういうならば仕方がないと、納得したそうです。そして、母と父が次に会ったのは、結婚式でした。

 母が露木家に嫁いで1年後に私が生まれました。3年後には次男が、5年後には三男が生まれました。その頃の露木家は、曾祖母、祖父、父と母、叔父、私たち三兄弟の8人家族でした。母は一人で、乳飲み(ちのみ)子から食べ物の好みが違う高齢の二人の世話と、炊事、洗濯、掃除をしました。

 やがて叔父が独立し、三兄弟は開北小学校に入学しました。その頃の開北小は女性の芦川緑校長先生が活躍されていました。母はPTAの役員をしておりましたところ、芦川先生にお声をかけていただきまして、できたばかりの静岡県東部婦人センターにパートで勤めることになりました。ここで婦人の就業支援などをしていたようです。芦川先生とは、その後もお付き合いが続きました。こうして、芦川先生との出会いが、母を社会に目を向けさせるきっかけとなりました。母は50才を過ぎて、アートフラワーの講師の資格を取り、およそ25年間、生徒さんを教えました。しかし、生徒さんたちがしだいに高齢化して人数も減ってきたため、昨年の秋に最後の展覧会を行いました。母は、ひとかかえもある大きな作品を展示し、「これまでの集大成ができた、やりとげた」と成功を喜んでおりました。

 話はさかのぼりますが、母が嫁ぐ1年前、露木家では祖母が49才で他界しました。母は嫁いだ翌日、曾祖母に連れられて、我入道のあたりにあるお稲荷さんに行き、そこで、祈祷師に乗り移った祖母から話を聞いたそうです。

 『あなたが来てくれて、本当に嬉しい。露木の家をよろしく頼みます。母(曾祖母)と夫(祖父)を頼みます。うちは財産を増やさなくてもいいから、減らさずに今のままを守ってください。あなたの子どもや孫には、初代や二代目の様子を言い伝えてほしい。そして子どもには行きたいところに行かせてやってほしい。息子(父)とは健康に気をつけて仲良く暮らしてください』と、祈祷師に乗り移った祖母は言ったそうです。

 母は、祖母の言いつけを心に刻み、曾祖母、祖父、父の3人を送りました。

 私は明治大学を卒業して銀行に3年間勤めた後、歯科大学に入学しました。歯科医師になった私は、2008年に沼津に戻り、歯科医院を開業することになりました。当時、娘はまだ3才であり、妻が娘の教育に専念するため、母が医院を手伝ってくれることになりました。母は「良治が沼津に帰ってきてくれて、嬉しい」と、喜んで白衣を着て、医院を手伝ってくれました。

 なんの持病がなく、病院通いなどしていなかった母でした。そんな母と別れは突然にやってきました。

 先月、私の娘の合格発表を母と家族全員で喜んだのが昨日のことのようです。大晦日には、家族全員でNHK紅白歌合戦を見ました。年が明けた5日には三島大社に母を連れて初詣をし、その後、カラオケにも行きました。7日の夕方、車を運転して外出から帰ってきた母は、いつものように医院の手伝いをするために1階に降りてきました。6時30分頃、母は突然ばたっと仰向けに倒れ、その音で私はすぐにかけつけましたが、かすかに呼吸をしていましたものの、すでに母の意識はありませんでした。脈をふれることはできず、1~2分で呼吸も止まってしまいました。すぐに救急車を呼び、沼津市立病院に搬送され、心臓マッサージ・人工呼吸器の治療を受けましたが、その甲斐なく、弟たちの到着を待って、午後7時50分、人工呼吸器がはずされて、死亡が確認されました。82才でした。CT撮影の結果は、大動脈解離による大動脈破裂でした。

 母が倒れた後、私がそばについていましたが、全く苦しむ様子はなく、眠るように静かに息を引き取りました。大往生であったと私は思います。

 母は、愚痴や不満を言わずに、私たち三兄弟のためにひたすら働きました。そんな母に感謝の言葉を伝えることができなかったことが悔やまれます。ありがとうございます。先に天国に行った父のもとで、ゆっくりと休んでください。

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【日常】母の葬儀が終わりました。

2022年1月7日に私の母・一美が82才の生涯を終えました。夕方、大動脈解離による大動脈破裂で突然倒れ、私が見守る中、そのまま眠るように静かに息を引き取りました。11日の通夜と12日の葬儀を、家族葬で行いました。生前のご厚情に心からお礼を申し上げます。ありがとうございます。

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