デンタルオフィスみなと 公式ブログ

静岡県沼津市の歯科医院「デンタルオフィスみなと」です。

『いつかまた横浜で』 K.O.様が書いてくださった感想文

 私が『いつかまた横浜で』を出版したのは2000年4月です。あれから、21年もの歳月がたちましたが、この本が私の原点であることは変わりません。出版後、多くの人から感想を頂戴いたしました。その中の1つをご紹介させていただきます。なお、K.O.様は2015年7月6日に87歳で他界されました。もうすぐK.O.様の命日です。K.O.様は長年教鞭をとられ、定年退職後は17年間、短歌を詠み続け、ご自身の短歌の本を出版された方です。人生の大先輩に、このような感想文を書いてもらったことは、大変に光栄です。

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 「本を出す」ということは、「大通りを素っ裸で走るようなものだ」と、ある小説家は述べている。それほど文を発表するという行為は、作者の知能・性格・全人格があぶりだされてくるものである。この言葉を僕は短い感想文のプロローグとした。

 『いつかまた横浜で』を読み始めてからずっと僕の頭の中では、杉名ではなく作者のこの本を書いた意図や、何のために出版・公表したかという疑問が徘徊していた。それは、内容が作者の事実の告白にもとづいた「秘めごと」のように思えたからである。また、杉名と律子は結ばれないであろうという予感があった。なぜか。結ばれていたら、これを本にする必要はなかったのだから。

 律子は佐藤と杉名を天秤にかけるような女性ではない。彼女が適齢期を過ぎようとしていたとき、佐藤を選んでしまったのだと思う。選ぶまで、決定するまで律子は迷いに迷ったのではないだろうか。律子は杉名に対して、もっと自分を強く抱きしめてほしいと訴えていたのではないだろうか。

 「仕事と恋」、あるいは「恋と仕事」と言ってもよいが、この二つは人生の最大の関心事である。生きてゆくうえの最大のファクターである。杉名の場合、苦しみを伴う学業という現実の仕事があって、そこに、同時に恋が生まれたといっていい。その恋心は、自分の人生に希望をもたせ、日々の活力になっていった。また少し観点を変えて言えば、人は苦しいときに何かに逢って生きたいと願う。優雅なやさしさを求めるものである。それが杉名にとって律子であったのだ。だとすれば、これは、本当は愛とか恋とかいうものではないのかもしれない。

 実生活や手紙文が実に生き生きと書けている。その反面、プロローグの「会話」の部分は全くの蛇足にすぎない。これを補完した意味は作者にあっても、一般読者には「しらけ」を感じさせた。さらに言えば、『いつかまた横浜で』は、フィクションですよという言い訳であり、その言い訳もあまり役に立たない子道具ではなかったか。

 僕はこの感想文の冒頭で、なぜこの本を書いたのか、なぜ公表したかという疑問をなげた。僕なりの答えを示して終わりとする。

 

 書かずにはいられなかった。

 この世でたった一人の人、律子に自分の本心を解ってもらいたかった。

 

 これだと思う。杉名は律子を深く深く愛した。学業に励むのも、優秀な医師になるのも、すべてはそのためであったのだと僕は結論づけた。

 題名の『いつかまた横浜で』は、出会いが横浜であり、別れも横浜だからではない。それだけではないのである。ひとときの別れがあっても杉名は純な気持ちをもって生きていくに違いない。ひとまわり成長した大人になっても、この気持ちは変わらないと、今、思っていることであろう。また逢える日を心から願い生きてゆきたい。そう願いながら、いつかまたとしたのだろう。

 全編を通して、作者のひたむきな心情がつらぬかれていた。また、若者らしく、すがすがしい風を送りつづけていた。

 

                         平成12年7月7日 K.O.

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露木良治 著『いつかまた横浜で』医療タイムス社