当院オリジナルの童話です。
***************************************
【童話】月色手紙配達人
「お母さん、ぼくに手紙来てない?」
サンダル履きで郵便受けから戻って来た青彦は、何回もしつこく繰り返していた。
「来てないわね。今日はもう郵便屋さん来ないわよ」
お母さんは青彦の顔も見ずに、イライラと言った。
外の深い群青色が、いつか写真で見た海を思い起こさせ、青彦は自分の絵の具箱に目をやった。
(まるで透明すぎて、オマエらには手も足も出せないだろうね)
そんなふうに心をそらしてもみるのだけれど、やっぱり…
「おじいちゃん病気だから、お返事くれないの?ぼくのお手紙読んでくれたのかなぁ…ねーお母さんてばぁ」
ひんやりとした窓ガラスが、まだ幼い男の子の膨れっ面を映した。
――その日、青彦はどうしても瞼を閉じる事が出来ずにいた。真夜中に取り残されたまんま、ベットの上にぽつんと一人。
(ああ、なんだかノドかわいちゃったなァ。トイレにも行きたいよ…)
毛布を頭までバサッとかぶってまん丸くなる。
「ひつじが一匹、ひつじが二匹、ひつじがサン…」
その時、
――コン、コン、コン。
何か音がした。
青彦はビクッと身ぶるいした。毛布のわずかなすき間から、大きな目をキョロキョロさせて青くなる。
(そ、そら耳…かな…)
――コン、コン、コン。
(あっ、まただ…)
今度ははっきりと…
――コン、コン、コン。
「郵便ですよ」
「ユウビン!!」
青彦は心臓が破裂するほど驚き、ベットから跳び起きて玄関へ走った。
「ユ、ウ、ビンヤサン!!デスカ?」
鍵を上げてドアノブをゆっくり回すと、
「どうも、郵便です」
感じの良い声をした男の人が立っている。黒い制服、黒い靴、黒いショルダー、そして黒の帽子。
「ゆうびんやさん!!」
「君に、お手紙ですよ」
彼は優しく青彦に微笑むと、バッグから一枚の大きな封筒を取り出した。
「はい、どうぞ」
青彦は、目の前に指し出されたそれを、両手で受け取った。
「ありがとう!」
郵便屋は、にっこりうなずくと、早足で消えてしまった。 青彦はこぼれそうな笑みをうかべた。
(おじいちゃんからだな。きっと、今日はゆうびんぶつが多かったんだ。だからこんな夜中に、届けに来てくれたんだ)
しかし、その途端、青彦の笑みが重い音をたてて床に落ちた。月の光に、その真っ青な封筒を照らすと、
『トナリ街 ツキアカリ61332番地 Thomas・Moonへ』
と書いてある。
「ち、ちがう!これ、ぼくンじゃないよ!」
青彦はあわてて郵便屋の行った方へ飛び出した。でもそこにはただ平然と、ガス灯が並んでいるばかり。青彦は、突っ立ったまま、耳の奥でするドクン、ドクン、という音を全身で聞いていた。
「よ…よしっ、ぼくが届けに行こう!」
思い切った青彦は、大急ぎで着がえをすると、大きな封筒一枚持って、ガス灯の下に出た。紺のコートに黒いズボン、黒い靴、帽子はとりあえず、格子柄の鳥射ち帽をすっぽりと。
「トナリマチ、ツキアカリ…」
青彦はブツブツ口の中でつぶやきながら、いくつもの丸い光をくぐりぬけた。まるで、冷たい水の中を歩いているようだ。
「ろく、いち、さん、さん、に」
最後のガス灯の下で立ち止まって、帽子をひねる。
「ティー、エイチ、オー、エム…エヌだったかな…」
すると、
「トーマスだよ」
ハッとして目の前を見ると、上の方が丸っこい英国風の扉が、静かに浮かんでいた。
「トーマス・ムーン、ツキアカリ61332」
その時、“誰?”と問う間もなしに青彦の目に飛び込んで来たのは、いかにも紳士といった感じの…
「ネコ!?」
すると猫は、手に持ったシルクハットを裏返して、言った。
「失礼な。だから、僕は“トーマス・ムーン”だと言っているでしょう?」
少し不機嫌そうな猫の方へ、ガス灯の下から踏み出した青彦は、帽子をもう一度ひねり直した。猫は眉をひそめて青彦を見ている。
「あ…ごめん、ね、えっと、ぼく、あおひこ。ごめんね、トーマスムーンくん」
すると猫―Mr.トーマス・ムーンも、そも満足したようにうなづいて、
「いや、いいんだ、アオヒコ君」
と、笑う。
ガス灯の光にはぐれて、空中で静かに月の光をあつめている扉には、
――ツキアカリ・6・1・3・3・2――…
「ここだ!」
青彦は、青い封筒と扉とを照らし合わせて叫んだ。トーマス・ムーンは驚いた様子で言った。
「それは、僕に?」
「うん」
青彦は大きくうなづく。
「やっぱり!ずっと待っていたんだ、僕」
トーマス・ムーンは、青彦の手からそれをしっかり受け取ると、言った。
「ありがとう!郵便屋さん!」
青彦は、少し照れクサクなって、帽子を手でかいた。トーマス・ムーンは、手紙を大切そうにかかえながら笑う。
「よかったら、お茶でも飲んでおゆきよ」
そう言って、扉のノブに手をかけるトーマス・ムーンを、青彦はまじまじと見つめた。 月に輝く、銀の美しい毛なみ。
「ねぇ、その扉はナニ?」
青彦の質問に、トーマス・ムーンはけげんそうに首をかしげた。
「何って、僕の家だよ」
青銅色の扉に手のひらをおいて、彼は言った。
「まぁ入りたまえ」
青彦は、首をかしげながら中に入った。
「わッ…まぶしいっ!」
辺りは真っ白。いや、金色か、銀色か、それとも…。目を細めてみると、トーマス・ムーンがどこからか三日月形のペーパーナイフを持って来ていた。
「おいしい紅茶があるんだ。でも、ちょっと待っていて」
どうやら、先に手紙を読む気らしい…と、その瞬間、――カラ、カラ、コツン!
トーマス・ムーンのペーパーナイフが床に落ちた。
「おっと」
彼が拾おうとする。
――コツン、コツン。
…青彦は、自分の頭の中までが‘月色’になってゆくのを感じていた。
――カラ、カラ、コツン! コツ、コツ、カラ、コツ………くん…ひこくん…
「あおひこくん」
「は、はい」
青彦は、ハッとして辺りを見回した。
(…?ぼくんちだ…)
目の前の扉の足もとをじっと見つめる。
(夢?でも、ぼくは寝てられなくて、えーと…)
青彦は帽子に手をやった…はずだった…
「アレェー?」
ふと気付くと、郵便屋さんが、何か箱をこちらへ差し出していた。
「いいなぁ、コレ、なんだろうね」
「え?」
青彦は、目をこすりながら言った。
「あっ、おじいちゃんからだ!!」
大急ぎで、包みを開ける。
(なんだろ、なんだろ、なんだろ!)
きれいな箱のフタをそうっと開けて、青彦は息をのんだ。
「あっ…!!」
それは、大きな青い封筒を抱えた、あの“トーマス・ムーン”だった。小さな人形になって…。しかも、こわきにはしっかりとあのペーパーナイフをはさんでいた。 青彦は、添えられていたおじいちゃんからの茶封筒を大切に手に取ると、“トーマス・ムーン”がしっかりと抱える青い封筒を見つめた。
…ツキアカリ・6・1・3・3・2…
「…安心して、君のは読んだりしないから」
すると、コロン、と封筒からこぼれ落ちたものがあった。青彦の手のひらにのせられたそれは―
―深い群青色の絵の具―
「…これ、くれるの?」
「は?」
不思議そうに首をかしげる郵便屋に首をふって、青彦はにっこりした。“トーマス・ムーン”の銀の毛なみが、風になでられている。
「ありがとう!ゆうびん屋さん!」
すきとおる風のなかを、オレンジ色の空へ小さなほこりを舞い上げながら、郵便屋は帰って行った。まだ、ともされないガス灯の下を……。
2001年1月13日 著作権は「デンタルオフィスみなと」にあります。