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【小説】父 part 1 ~杉名の大学院進学~

【小説】 父 part 1 ~杉名の大学院進学~

 

 大学院に進学するにはお金がかかる。このことがネックで杉名は父親に大学院進学したい気持ちを言い出せずにいた。無理を言って、歯学部の6年間をようやく終えようとしている矢先である。国立大学ならば、学費は他の学部とそれほど変わらないが、私立だと考えられないくらい高い。信州歯科大学の学費も、他の私立の歯科大学と同様、とても高かった。簡単に出せる金額ではなかった。かつて農家であった杉名の家には自宅から少し離れたところに畑があった。その畑がたまたま道路拡張にあたり、そこを市が買いとって道路にすることになり、そのお金が杉名の入学金になったのである。その後も、毎年やっとの思いで杉名の父は学費を工面した。

 

 杉名の父・義雄は、頑固で気難しい性格で、家族のことなど考えたことがない人物であったが、仕事はまじめだった。義雄が勤める会社は、バブル経済がはじけた後も、主力のコピーやカメラが順調で景気がよかったが、長年勤めた義雄の職場は消耗品を作る部門であり、その頃台頭してきた中国製の製品に押されて不採算になってしまった。義男には消耗品部門が閉鎖されることが伝えられ、同時に石川県にある工場への転勤の話しもあったが、義男は新しい職場になじむことができる自信がないということで、杉名が大学4年の時に、35年勤めた会社を退職していた。義男は当時としてはかなりの額の退職金を手にしたが、杉名の学費のために、そのかなりの部分を使ってしまった。

 

 義男はタバコが大好きだった。家にいる間は、ひっきりなしと言ってもいいくらいにタバコを吸っていた。それだけでなく、ビールも好きで、1日に大瓶1本は飲んでいた。杉名の母は、フラワーアレンジメントを教えていたので、日中はいないことが多かった。退職した後、義雄はなにもせず、家にいることが多かった。母がいない時は義雄が飲むビールの本数が増えた。

 

 杉名は、歯科大学の卒業が近づいてきたある日、実家に帰り、両親に打ち明けた。古くなって汚れが目立ってきた実家の壁を白く塗り替えるのにも反対した義雄だったが、意外にも賛成してくれた。義男は言葉少なに「おまえがやりたいというなら、やってみろ」と言った。「親父、ありがとう」と杉名もまた言葉少なく返事をした。杉名は予想していなかった父親の返事に心の中で感謝した。

 

 その晩、家族で食事をした。「家族みんなが元気で集まったね。こんな幸せな日がずっと続くといいね。」と母は言った。杉名もあらためてこうして家族全員が集まって食事をできることが、ふととても貴重なことに思えた。

 

 杉名が17歳の時に祖父が他界して以来、14年間、杉名家の家族構成に変化はなかった。この顔ぶれがこのままずっと永久に続くような気がした。そう思った瞬間、言い知れない漠然とした不安が頭をよぎった。ちらっと見た義雄の顔の皺は、いつの間にかずっと増えていたのだった。

 

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