デンタルオフィスみなと 公式ブログ

静岡県沼津市の歯科医院「デンタルオフィスみなと」です。

妙覚寺にまつわる平家の悲話

妙覚寺にまつわる平家の悲話

 私の家の菩提寺は、沼津市下河原の妙覚寺です。このお寺には、小説家の井上靖が少年時代に下宿していたことがあり、空襲で当時の建物は焼失したとのことですが、境内には井上靖の文学碑が建てられています。先日、妙覚寺の住職さんにお話をお伺いする機会がありました。そこで私は、平家に関係するお寺であることを初めて知りました。
 1185年、壇ノ浦で滅亡した平家一族でしたが、平清盛のひ孫である六代公は源氏の追手から逃れて生き残っていました。しかし、源頼朝は彼を捕えます。一旦は文覚上人に助けられ、その弟子となり仏門に入ります。その後、文覚上人が流罪にあい、その件とは無関係であった六代が責任を負わされて、頼朝の子である頼家によって神奈川県逗子田越川(たのこしがわ)で、32歳の若さで処刑されました。六代の死によって、栄華を極めた平家は絶えてしまったのです。
 この話には、続きがあります。六代の家臣であった斎藤六範房(さいとうろくのりふさ)と兄の五盛房は、晒されていた六代の首をひそかに持ち出し、高野山まで運ぼうとしましたが、冷蔵庫や防腐剤のなかった時代であったため、六代の首が腐敗し、やむをえず千本松のある木の根元に埋めたそうです(東間門の六代松の碑)。その後、範房は、下河原で六代の冥福を祈りました。範房の子は仏門に入り、1308年に日安と名を改め、妙覚寺を開山したそうです。仏門に入った六代の法名が妙覚だったのです。
 住職さんのお話を聞いた後、あらためて妙覚寺の門を見ると、お寺の名を記した石碑の右上に「平家六代公旧跡」とはっきり彫られていました。源平の争いの中、無実の罪で命を失った若者を弔うお寺だったのです。

2013.2.8 露木良治
参考文献 「妙覚」妙覚寺 「優婆塞日安」妙覚寺


妙覚寺の門です。写真はすべて2013年1月27日に撮影。


門から見た境内の様子です。


井上靖の文学碑です。


妙覚寺です。


境内の様子です。