デンタルオフィスみなと 公式ブログ

静岡県沼津市の歯科医院「デンタルオフィスみなと」です。

【沼津郷土史】沼津大空襲と愛鷹山の高射砲の応戦

【沼津大空襲と愛鷹山の高射砲の応戦】
 
私が幼少だった頃、祖父は沼津大空襲の話を私によくしてくれました。私の家がある沼津市本田町(かつての沼津新田)には、西と北に沼津海軍工廠、南には三井精機という大きな軍需工場がありました。
1945年7月17日、沼津大空襲があった晩、曽祖父母と祖父母は家に残り、飛んでくる火の粉をバケツの水で消して回ったそうです。そのおかげで我が家は焼けることがなく、無事でした。
その晩のことを祖父は、「B29がたくさんやってきて、たくさんの焼夷弾を沼津に落とした。沼津は一晩で焼け野原になり、この家から(焼け野原になった駅南市街地を通して2km先にある)千本浜が見えた」、「やってきたB29に向けて撃つ高射砲の音を聞いた」と申しておりました。
私は、祖父、父、母から聞いた沼津大空襲の話を動画にしました。
 

沼津が赤く燃えた日 ~祖父が見た沼津大空襲~ 【アニメ 戦争体験の語り部 絵本】 - YouTube

 

動画の中に愛鷹山の高射砲が応戦するイメージで大砲の音を入れました。

動画を公開した後、ある人から「沼津大空襲の際に愛鷹山の高射砲が迎撃したという公式な記録がない。あれば教えて欲しい」とSNSで質問を頂戴いたしました。

それ以来、私は気になって、古書や図書館で愛鷹山の高射砲に関する歴史資料を探しました。そして、いくつかのっ高射砲が応戦したという民間レベルでの記録を見つけることができました。

 

高射砲の写真と記事は、明治史料館刊『平和を考える戦争史跡めぐり』からの引用です。

新聞記事は2020.10.16の『沼津朝日』のものです。

ネットで見つけた沼津駅北の沼津大空襲で焼けた範囲です。

先日、私は古書で『
大空襲 郷土燃ゆ 静岡県戦災の記録」を入手しました。

そこには、沼津の空襲の話が詳しく出ています。「沼津市の北方愛鷹山の山ろくには陸軍の高射砲火が、赤い火の玉となって飛ぶのが、手ににとるように見える。B29の黒ずんだ鉛色の巨体が煙の中から不気味に顔を出す。どうしたのか、ぜんぜん、高射砲の弾は命中しない」と記載されています。私の祖父が、「高射砲の音を聞いた」というのは、本当でした。
 
空襲で焼け野原になった沼津ですが、戦後、めざましく復興し、戦火で焼けたということが人々の記憶から薄れていっています。
私は家族から聞いた沼津大空襲の話を後世に伝えていきたいと思います。